
2020年12月に執筆されました。
2020年、このとんでもない年も終わろうとしている。しかし年号が変わってもまだまだ解決の糸口さえ見つかれない問題が山積している。しかしここでため息をついていても始まらない。今年最後のエッセイにこの表題を選んだ理由も子供達の将来を前向きに捉えたいと考えたからである。
11月の中旬から2週間ほどニューヨークに滞在した。この街は4、5月にクラスターにつぐクラスターで感染者が激増、医療体制も逼迫し、市始まって以来の悲惨な状況となった。今街中には多くの失業者が溢れている。路上には若者がヒッピーとなり物乞いをしている。地下鉄にはどの車両にも必ずと行っていいほどホームレスが乗っている。彼らは物乞いをしながら地下鉄から地下鉄を乗り継いで1日を過ごす。ある日その物乞いの様子を見ていたら、黙って見せ金の入ったコップを差し出しただけではお金はもらえないことがわかった。まず車両に乗り込むと「みなさん、私の話を聞いてください。コロナで私は仕事を失いました。ボスは突然店を締め社員全員が首になりました。私には4人の子供がいて朝晩シリアルだけ食べています。水道代も払えないので水は公園に汲みに行きます。ガスも止められてしまったのでジャケットをたくさん着て寝ています。明日はとうとうアパートお追い出されてしまいます。どうか皆さんのご慈悲をください。」この女性は40代ぐらいの黒人女性だったが、その話し方は人の心を打つものがあり、ほぼ乗客全員が彼女の持つカップの中にお金を入れた。
もう一つ地下鉄で見た光景は親子だった。お父さんと息子らしき二人組が物乞いをしている。お父さんの方は車椅子で目も不自由な様子だった。息子は小学校の低学年といった背格好で恐ろしく痩せていた。しかしこの子供の演説は物凄かった。「僕とお父さんは家がありません。お父さんは仕事もありません。お母さんはある日いなくなりました。お父さんは体が不自由なのでgovernment help がもらえるのですが、薬代に全て消えてしまいます。お父さんは薬がないと生きていけません。そして僕がいないと行きていけません。僕は学校をやめてお父さんと毎日地下鉄に乗っています。もう駅の名前を全部スペリングできるくらいに毎日乗っています。ここは僕の仕事場です。だからお金をください。僕はみなさんのためにクリスの歌を歌います。」そう話す少年の歌は決して上手くはないが一生懸命なので人の心に届いた。中には20ドル札を入れる人もいてカップはあっという間にいっぱいになった。私はこの二つの光景を見て、ニューヨークの底力、人間の底力を感じていた。ニューヨークで物乞いをするならそれなりの覚悟が必要なのだ。なまじっかの世捨て人が多い日本のホームレスとはワケが違う。同時にあれほど世界の頂点にあったニューヨークの街が、世界でも稀に見る貧困者の坩堝となっている現実である。
【後編】に続く
黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)