
2021年12月に執筆されました。
ニューヨークで子育てをしている時、毎週土曜日は日本語補習校という子供達にとってはうれしくない時間があった。子供達だけではない。私にとっても土曜日は地元の子供達とサッカーや野球などのチームプレイを通して友達を作り、また親同士がお付き合いをする大切な時間であった。しかし日本人の家庭はほとんどが駐在員で、数年で日本に帰国するという現実から、補習校は何よりも大切な学習の場であった。また国際結婚をしている家庭も子供達に日本語力をつけることで親の生まれた国への理解をしてもらおうと熱心に補習校に通っていた。継続は力なりの言葉通り、補習校に毎週休まずに通い、家でも予習復習をしていれば、授業の内容もよくわかり日本語の読み書きには困らないようになるはずなのだが、このevery weekendというのが難しい。日本語での学習に対する目的がないとonce a monthにもなりかねない。しかしこれでは授業の内容についていけないので益々補習校嫌いになる。
もう一つの日本語学習は夏休みを利用して日本に戻り、現地校で体験入学するという方法だった。しかしこれも子供達にとっては全く嬉しくない時間だった。特に当時中学生だった長女の体験入学は散々だった。実家のある東京板橋区の公立中学にお願いして10日間の体験入学をした。条件として中学校の制服を着なければならず、丈の長いスカートと白いブラウスに白いソックス、そして野球部が持つようなバックが用意された。10日間の我慢と本人を励まし、日本の文化を体験し、友達の1人や2人を作ってもらえば目的は達成される。これは親が勝手に作った目的である。その反動もあってかある日校長先生から呼び出しを受けた。なんと給食の時間に喧嘩をし、相手の男子学生に給食のスープをかけた、それも頭からだという。もっともそれに至るまで、男子学生が長女の給食のお皿に洗剤をかけていたという経緯があった。なぜか男子生徒とはその後仲良くなり、アメリカに帰るときは送りにも来てくれたというオチがある。
私の子供達にとっては嬉しくない補習校でも、駐在員のお子さんたちは日本に触れる大事な半日である。補習校で毎年行われる運動会は家族でお弁当を広げ、卒業式もしっかりと行われた。
今思うのは親としてもう少し真剣に補習校と向き合うべきだったかということである。当時私たちの家族はずっとアメリカに住む予定だった。軸足がアメリカだったので地域の子供達との交流は大切な行為だった。ただアメリカに住むから日本語をおろそかにしていいかというとそうではない。もちろん家族の間では日本語を話していたが、どうしても英語が混ざってしまう。子供達の年齢が上げれば上がるほどひどくなる。また敬語の使い方がわからない。敬語は親が教えても実際に使わないと覚えない。
数年後に突然日本への帰国が決まり、真面目に補習校に行かなかったツケがきた。一番は漢字と読解力(特に国語以外の科目)そして何よりも日本人の先生による教え方への順応ができなかった。結果次男と三女を除いてはインターナショナルスクールという選択肢となり、数年高い授業料を払わせられた。そしてインターの後は日本の高校や大学に戻るという選択肢が非現実となり、アメリカの現地校に戻っていった。もし私がもう少し子供の将来を客観的に見ていたら補習校で頑張っていたかもしれない、とはあまり思わないが、補習校の良さも認めながら子供達と将来役に立つ別の日本語学習を模索していたかもしれない。
これからは以前よりもっと高度な日本語力が求められる。なぜなら流暢に日本語を話す外国人との勝負があるからだ。彼らに勝とうと思ったら完璧な日本語、日常会話をこなす英語、必ずどこかで役に立つ第三外国語の3本立てが望ましい。この三つが揃えば将来飢えることはまずないと思っている。
黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)