【前編】デジタル教育を考える の続きです。

「すみません、うちは経理が使うパソコンしかないので、それをONLINEクラスに使うわけにはいかないんです。」というのがほとんどで、中には「器械は二台ありますが、一台はワードプロセッサーみたいなもんです。」と冗談としか思えない返事もあった。もう一つの問題は行政から指定されている保育園管理システムがWindowsでしか起動できず、私たち配信側が使用しているPCがマックなので、互換性が悪くフリーズを起こすことが度々ある。結局PCの貸し出し、ホワイトスクリーンやプロジェクターの貸し出しなどの案を講じて今に至っているが、今後このようなPCの過疎化が長く続けば、教育分野だけを考えても世界から置いてきぼりにされる可能性はある。

 ONLINEクラスに関しては賛否両論あるのだが、配信する側はIN PERSONクラスよりもコストがかかる。ONLINEクラスの質を良くするには、どうしても2名が必要になる。1人は先生、もう1人はネット環境をコントロールしたり、事前に動画配信場所に天幕をはり、音響を確認し、受信側と通信しながら現場の状況を伝え聞いては先生の動きや声の大きさなどを調整していくという必要不可欠な作業である。現在もONLINEクラスを希望するクライアントが多く、これはコロナが終息するまでは続くと思う。もしかしたら収束してもONLINEを希望する園もあると思う。しかし私個人の意見としては、教育とは生身の人間同士がふれあい、抱き合い、口論仕合、人同士の存在感を感じながら、実践されるべきだと思っている。現にIN PERSONのクラスなら子供達も30分は集中するが、ONLINEでは10分がせいぜいである。

 しかしである。世界はどんどん進化していて、教育現場も同様である。スタンフォード大学で実験的に始められたONLINE HIGH SCHOOLは世界のトップレベルに10年で到達した。AIを教育現場に置くための助成金も日本以外の国では活発に行われている。子供達はペンよりも指を使って文書を書く。最近では音声が文字に変わることもできる。ここに至っては賢い選択ができるように自分に必要な情報を与え、必要不可欠なものを選択できる力を備えることが大切だと思っている。

 例えば年長の園児が成人するまでに15年しかないと考えると、日本社会に大きな変化はないとしても、世界の変化はとんでもないものがあると思っている。なぜなら海外では今、その序章と思われる部分がここそこに垣間見ることができる。その変化は日本そのものの変化が遅くても、外圧として日本社会を大きく変えていくことに間違いはない。そのためにもデジタルの進化を日本の中で考えず、広く世界に目を向けて考え、時には子供達と議論し、選択力を鍛えていく。そんな環境が生まれるのを日本の子供達のために強く望んでいる。ゲームをやりたい放題にさせていてはとっても未来の変化にはついていけない。

※2022年に執筆されました。

黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)

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