
前回はこちらから
ある日東京で保育園を始められた方が、保育士を連れてILHに来た。といっても目的はILHではなく、近所にできた新しい保育園の施設見学だった。ちょうどお昼時だったので、カレーランチにお誘いした。午後は予定があるとのことで、大汗をかきながらランチを済ませた。帰り際に「黒部さん、うちの園に外国人を派遣して頂けますか。」と質問された。「はい。」と私は答えた。「1人ではなく、今後複数の外国人を定期的に派遣して頂けますか。」と2つ目の質問。これにも「はい。」と、今考えると恐ろしい返事をしてしまった。我が家にホームステイしていた外国人と、近所に住んでいたパパがイギリス人の大学生以外、外国人などいなかった。私に「はい」と言わせたのは、「園児が異文化や外国人に直接触れ合うことができればいい。」という経営者の言葉だった。英語を教える以前に、外国人を身近に感じ、肌の色、髪の色、目の色が違っても同じ仲間として受け入れるという感性を育てたい、という。
早速派遣が始まった。保育園は横浜から電車で1時間以上もかかる板橋区にあり、外国人2人がペアになってクラスに入る、というのが条件だった。どのように外国人を採用したのか記憶が曖昧なのだが、東京で発行されている英語のローカル紙に人材募集広告を出したような気もする。ところが、1園目を始めてからまもなく、「年内に新規園を2件立てるので外国人の手配をして欲しい。」との依頼があった。また、学童保育にも別途、外国人が必要らしい。当時私は東京にある企業の海外事業部でフルタイムで働いていた。出張と接待が多く、義理の母にはこれ以上世話になれない程、世話になっていた。派遣先が2カ所の時は、会社から携帯で指示が出せたが、そのうち「まだ先生が来ていません。」とか「先生の言っていることがわかりません。」などと、勤務中に舞い込む問題が多くなり、その度に会社の裏階段に周り、保育園に連絡を取っていた。社長がたまたま裏階段の下にいて、一瞬背筋が凍えたこともあった。出張ともなると日本時間に合わせて海外から指示を出さなくてはならず、精神的、体力的にも限界を感じていた。そんな時、出張先のオランダでダウン、これが転職への引き金となった。
No.12へつづく
黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)
※数年前のILH Connectionのコーナーの一つとして寄稿された文章になります。
幼稚部にご興味ありましたら、こちらのHPへどうぞ ===> https://yilh-kinder.org/
プレスクールにご興味ありましたら、こちらへどうぞ ===> https://www.ilh-pre.com/