オフィスのイメージ@インターナショナル・ランゲージ・ハウス

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私事だが、大学を卒業してから勤めた会社は4社、シンクタンク、カウンセリングサービス、派遣業、そしてレセプト(診療報酬)の会社である。1番目の子供を出産し、5番目を出産するまではフリーランスのジャーナリストをしていた。オランダへの出張はレセプト会社がビルメンテの経営もしていて、ダクトクリーニング機器のノウハウを引っ張ってくることが目的だった。当時オランダとスエーデンにはこの特許をもつ会社がいくつかあった。しかし、相手はフライングダッチマン、商売に長けていて、そう簡単には希望価格に合意してくれない。おまけにロイヤルティーだの、フランチャイズだの、とめんどくさいことを言ってくる。そんなミーティングにビルメンテの専門用語が入ってくると、頭もパンパンでフラフラになり、アムステルダム空港で失態となった。腹痛と吐き気、寒気と下痢が一度に襲ってきた。同行していた社長はあたふたするばかりだったが、結局空港の医務室でオランダ人の医師に太い注射をお尻にうってもらい、何とか日本までたどり着くことができた。

このことがきっかけで、会社を辞めようと考え始めた。最終的な決心させたのは、ニューヨークの会社で見た女性秘書のおばちゃんだった。50歳前後の女性で、身なりはパキパキのキャリアなのだが、メイクでは歳をかくすことはできず、表情がハッピーではないので、ものすごくネガティヴなイメージだった。これを自分に置き換えてみるとちょっと恐ろしいと思った。私もこの仕事についてから10年以上になっていた。海外出張が多く夫や子供達、義母にも世話になりながらの勤務だった。しかし、歳とともに自分のものとなるはずのキャリアが具体的に見えてこない。社会に対しても何を貢献しているのかわからない。朝、出張先で起きて鏡をみると、明らかに前夜の接待で疲れきった顔をしている。こんな気持ちで6ヶ月ほどを過ごしていたが、ある時隠れビジネスだった外国人派遣を真剣にやってみるか、と決心した。40代後半での起業だった。当時、資金は0からの出発だった。

No.13へつづく

黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)

※数年前のILH Connectionのコーナーの一つとして寄稿された文章になります。

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