インターナショナル・ランゲージ・ハウスのボブ君

前回はこちらから

当時主人はMerrill Lynchという外資系金融会社に勤めていた。この会社はその昔一世風靡した山一証券を買収し日本進出を試みたが結果的には失敗した。その結果、チームを構成していた外国人は本国に帰国となり、日本人はパッケージをもらい退職した。主人が家(現在ある幼稚部の建物)のローンを組んだのはメリルでの収入を基本としていたので1ヶ月の返済額は大きい。パッケージをもらっても底をつくのは早く、しかし再就職は困難を極めた。何故なら日本に戻ってから無計画に2人の娘と長男をインターナショナルスクールに通わせていた。特に長女と長男を通わせていた西町インターナショナルスクールの学費は尋常ではなかった。日本の公立校では日本語の読み書きが十分に理解できないこともあり、親としてはノーチョイスだったが、それも主人の収入をあてにしていたからだった。私も当時会社勤めをしていたが、私1人の収入で解決できる問題ではなかった。しかし子供達に転校しろというのは、ニューヨークの学校から転校して間もないだけにとても言えなかった。主人も仕事を選ばなかったらすぐにでも再就職はできたのだが、家のローンと子供達の教育費を考えると、それ相応の年収が必要となる。そうなると選択肢は限られてくる。結局1年以上を再就職までに費やした。その間預金は底をつき、車も処分しなければならなかった。長女の学費は私の母が肩代わりしてくれ、次女は教育ローンで繋いだ。しかし長男と次男はこのお家の事情で放浪した。

つづく

黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)

※ 2021年に執筆しました

このエッセイは、弊社CEO黑部が今まで書いてきたエッセイのアーカイブになります。アーカイブを更にご覧になりたい方は、カテゴリー「ILH History」をご覧ください。

Archives

Categories