英語でバスケ、今は商標「英語deバスケ」となっているが、篠原中に集まった外国人達がバスケをはじめた瞬間は見ものだった。190cmもある黒人が5人、白人が2人、小回りのきくアジア人が3人ほどいて、黒人達が連れてきたB系ガールフレンド達もきまっていた。ゲームは5 on 5のショートゲーム。ドリブルやパスの速さもさることながら、その存在感がなんとも言えなかった。中学生達も無言で見入っていた。ただ、私が見たかったのは技術ではなく、動きや立ち居振る舞いの格好良さ、声の大きさやバスケファッションだった。最新ファションのクールなバスケの先生が子供達の憧れとなれば、「先生みたいになりたい」「格好良くバスケがしたい」という気持ちが強くなり、先生とのコミュニケーションを通じて英語学習につながると思った。私は2人の黒人と1人の白人を講師として採用したが、最初はなかなか生徒が集まらず苦戦した。日本ではバスケの知名度が低く、親達がバスケに月謝は払えないと思っていることが原因だった。

そんな時、上永谷の狭いアパートの一室で英語塾をしていたカナダ人のジェリーから「塾を丸投げしたい」との連絡があった。もとはフランス人(ILHのロゴを作ったアンディー君の義理のパパ)が始めた塾をジェリーに譲っていたのだが、カナダに帰国する事になってしまい、困って私に連絡してきたのだ。上永谷は非常に遠かったので、場所探しから始めることになったのだが、私はアパートビルに囲まれた公園で黒人がバスケをしていれば、生徒が集まり英語でバスケが実現出来ると思った。金歯が眩しいテキサス出身の黒人ダニーが残ってくれた。

黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)

※数年前のILH Connectionのコーナーの一つとして寄稿された文章になります。

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