前編はこちら

 アメリカは日本以上に格差社会である。給食はないが、貧困層はミールクーポンという食券のようなものが与えられて、それをカフェテリアで使用し好きなものをトレイに乗せる。同時にランチを持参する生徒も沢山いる。中にはあの有名なピーナツバターサンドイッチをポソポソのパンに挟んで、それだけを食べる子もいる。セロリしか持ってこないでピーナツバターをつけて食べている。クリームチーズのたっぷりついたベーゲルを毎日持ってくる子、昨夜の残り物と思われるパスタを冷たいまま食べている子、これらのランチを作るに要する時間は10分ぐらいだろう。ただどんなランチであれ、それを食べている子供達の顔には屈託がない、友人たちとおしゃべりしながら楽しそうに食事をしている。

 日本は食文化の発達した国である。お弁当も日本の文化である。特に親の愛情のこもったお弁当、中身はなんであれ親が子供にもたせてくれるお弁当には特別の意味が込められていると思う。最近では幼稚園でも仕出し弁当業者を入れるところもあるが、私はその容器や中身を見てがっかりすることが多い。お弁当一個なんぼという感じがぬぐいきれない。また人間には人を元気にする好みの味や味覚というものがある。栄養バランスがいいからといって、9品目を全部食べろと言われると逆に栄養にならないような気もしてくる。人は食を楽しんでこそ、それが血や肉になるのではないだろうか。

 コンクルージョンを示したい。日本のお弁当文化は世界に誇る素晴らしいものである。給食や仕出し弁当にはないパワーがある。お弁当は中身が濃くても薄くても子供達が楽しんで食べてくれれば問題はない。作る側はもっとリラックスして作って欲しい。また中学生になったら簡単なお弁当は自分で作ることを親が教えるべきである。お金をもらってコンビニで買ったお弁当は、その子に何も教えてくれない。

 幼稚園のママも時には子供達と一緒にお弁当を作って見たら楽しいと思う。

長い人生で、子供達と一緒に何かを作りそれが子供達の教育につながっていくものはそれほど沢山はない。お弁当は一番身近にできる教育の一つではないだろうか。

2017年9月に執筆しました

黑部 美子(インターナショナル・ランゲージ・ハウス CEO)

Archives

Categories